2018.9.27

「泡盛は時代に合わせて進化するお酒」久米仙酒造・平良会長が語る泡盛の歴史と未来

古くは王朝のお酒として、沖縄で大切に育まれてきた泡盛。戦争などの悲しい歴史を乗り越えながら、現在でも沖縄に根付く大切なお酒です。

泡盛の未来を考える上で、歴史を知っておくことは必要不可欠。今回は、泡盛マガジンを運営する「久米仙酒造」の平良会長に、泡盛の歴史やこれからの展望について詳しく教えていただきました。まるで「おとぎ話」を聞いているかのような、驚くべきエピソードが満載です!

王朝が保護した上質なお酒・泡盛

平良会長:「泡盛は、古くから琉球王朝が大事に育て上げてきたお酒です。18~19世紀には王府が泡盛製造を管轄して、製造地域を限定するなどして味・品質ともに保護してきたほどなので、その質は非常に高かったと言われています。県外の出荷も非常に多く、7割が県外に出荷されていたそうです。
しかし、泡盛の歴史が一気にリセットしてしまった出来事があります。そう、太平洋戦争末期に、沖縄本土で行われたあの戦争です。

戦時中、沖縄本島の酒造所は度重なる砲撃により瓦礫の山と化しました。それと同時に、何百年熟成という貴重な古酒の多くも失われてしまったのです。また、泡盛醸造において必要不可欠な黒麹の菌も、『沖縄本島ではなくなってしまったのではないか?』と囁かれており、“泡盛醸造そのものができなくなる”とまで言われていたのです。

しかし、幸運なことに咲元酒造社長の佐久本政良社長が、荒れ果てた酒造跡地に埋まった『ニクブク*』の中に生きていた黒麹菌を発見し、泡盛の復興に一躍かったのだそうです。

もし戦争がなかったら……泡盛は今よりももっと品質が高かったのではないかと思います。ただその一方で、戦争があったからこそ、“タイ米が好適米として安定供給できるようになった”という側面もあるわけですね。」

*「ニクブク」:戦前に使われていた、稲わらの茎で編んだやや厚みのあるゴザ

戦後の復興と泡盛の関係

平良会長:「戦後、伝統工芸(芸能)と泡盛に関しては、米軍は率先して復興に協力してくれたそうです。ただ、食糧米ですら品薄だった当時、米軍払い下げのでんぷん・チョコレート・いも・その他雑穀で醸造されていた泡盛は非常に質が悪く、今から考えられないほど“粗悪”なものだったんですね。その中で、多くの酒造所が廃業を重ねていきました。

正直……今の感覚じゃ、とても飲めたもんじゃない泡盛ばかりでしょう。でも、戦後ボロボロになった沖縄で必死に働いて復興を目指していた中で、癒しは夜に飲む酒しかないわけですよ。粗悪な泡盛でも、みんな大事に大事に飲んでいたんですね。復興が進んでいく中で、タイ米の供給が安定するようになってから徐々に泡盛の品質も高まっていきました。」

泡盛冬の時代〜昭和30年代の落ち込み〜

平良会長:「米軍の影響下にもあったなか、ウイスキーやホワイトリカーといった類のお酒が非常に売れていたんです。それに加えて、まだまだ泡盛の質も低くクセが強かったので、一般層に受け入れられていなかった。30年代後半に工場の近代化(機械化)が徐々に始まり、だんだんと泡盛の質は良くなっていきました。

ただし、この時点で泡盛はまだまだ家庭で飲まれるだけのお酒で、外(居酒屋や外食シーン)で飲まれることは全くありませんでした。泡盛の酒造組合で総会があった時でさえ、組員が飲むお酒はウイスキーだったんですよ(笑)そりゃ、一般の方が泡盛を飲むわけありませんよね(笑)

現在、沖縄で作っている泡盛は非常に質が良く、皆さんが思っている以上に飲みやすいお酒になっています。ただ、“泡盛は臭いが強い”、“クセがある”というネガティブなイメージが残っているのは、戦後の粗悪な泡盛が一般的だった時代の名残のような部分もあるんでしょうね。」

グリーンボトルや樽熟成泡盛の開発〜久米仙酒造の躍進〜

平良会長:「私たち久米仙酒造に関していえば、1950年代に一大転機を迎えました。それまで泡盛はビール瓶に詰めて売られていたのですが、泡盛専用のボトルを作ろうということになったんです。そして1952年に開発販売したのが、現在でも使われているグリーンボトルだったんです。

ただ、今までのボトルに比べて値が張るという理由も相まって、店頭では全くといっていいほど売れませんでした。しかし、翌年沖縄に有名居酒屋チェーンが1号店を出店して導入されたのをきっかけに、爆発的に売れるようになったんですね。今までとは比べものにならない需要に、生産が追いつかなくなり瓶詰めラインの設置、大型化と、徐々に規模が大きくなり現在の工場に移転してきました。

その後、『平成バブル』が発生した際、高級ブランデーなどがブームを迎えた時代には、本土に向けて樽熟成の泡盛をはじめました。その後も、モンゴルでの醸造開始や、『沖縄』や『G.E.M.』の製造、『コーヒー泡盛』の開発など、これまでの泡盛業界にはない新しい取り組みを徐々にはじめていったんです。

『沖縄』や『G.E.M.』といった熟成泡盛は世間のウイスキーブームの流れもあり注目されましたけど、当初はここまでヒットするとは思いませんでした。グリーンボトルのヒットもそうですけど、泡盛は本当に環境や世間の流れが影響しやすいお酒なんですよね(笑)

ただ、今までにない新しいことに目を向ける、コツコツと信じたことを続けるという姿勢があったからこそ、環境の波に乗ることができたんだと自負しています。諦めないことが大事なんですね。」

泡盛のこれからを支えていきたい!〜久米仙酒造の展望〜

平良会長:「お酒業界全体だとは思いますけど、確かに若者たちのアルコール離れはありますねよ。ハイボール、チューハイが飲まれるようになっている現代、特に泡盛は若者が離れているという現実があります。でも、若者たちが飲むよう裾野を広げてあげないと、泡盛業界の未来はありませんので何かしらの手は打たないといけないなと思っています。『泡盛コーヒー』のような飲みやすい商品から、泡盛の世界を徐々に知っていただきたいですね。

泡盛は、その時代ごとに形を変えて残ってきた強いお酒です。薩摩がきて属国化され、戦争で負けてアメリカの占領下に置かれる、そして日本に復帰した後、日本の法律が適用される。それにともなって税制は一転二転、原料単価までもが大きく変わってきました。

しかし、環境がめまぐるしく変わり、振り回されながらも、その度に工夫や技術革新が行なわれ逆境を乗り越えてきた。泡盛は、そんな根強いお酒なんです。

だからきっと、これからも時代に合わせた進化で泡盛は沖縄とともにあり続ける。私達『久米仙酒造』は伝統を大切にしつつも、そういった時代に合わせた進化をサポートするような、新しい目線での泡盛製造を続けていきたいと思っています。」